私の主張
〜釣りの制度改革に関するご意見です〜

2005年9月30日 Hosokawa様

遊漁海面利用担当者ブロック会議」開催に際しての一提案

まず全釣り協関係者の皆様及び会議に参加される皆様の釣り文化保全の継続的努力につきまして、一釣り人として深く感謝の念を表します。

さて、議題は「関係者の広域的な連携による遊漁問題への対応」とのこと、参加者の皆様からは各地の現状に即した具体的諸提案が多く為されるものと思われます。
そこで私は『具体案を実現及び効率的に機能させるに何が必要であるのか』について述べてみます。

まず「広域的な連携」についてです。
現在、インターネット・携帯端末等の普及も著しく、多くの釣り人も情報端末を駆使することで釣り仲間との情報交換等に勤しんでおります。また、携帯端末利用者との有料契約で釣り情報を配信するメディアなどの存在もマニアックな釣り人達の中では無視できないものになっています。

しかしながら、圧倒的多くの釣り人たちの情報源が未だ「紙メディア」に依存しているであろうことは容易に想像できます。
意識の高い一部の人間だけが現場で周知活動を行い、また情報端末を活用して啓蒙に努めたとしても、大きな意味合いでの「広域的な連携」には結びつきにくいのではないでしょうか。

そして「紙メディア」には大別して2種類存在すると考えます。
1つはいわゆる「釣り雑誌」、もう1つは「新聞の釣り情報欄」です。
特に今回は海面についてのお話が前提ということですので、「新聞の釣り情報欄」への情報依存はそれなりに高いでしょう。また、「新聞の釣り情報欄」の情報提供者は各地の釣具屋さん、渡船業者さん、遊漁船業者さんです。「釣り雑誌」に関してはスポンサー等の思惑もあり、紙面にある程度バイアスが掛かるのは止むを得ない現実ですが、公器である新聞紙面上ではそのようなバイアスが掛かりにくくなります。
 つまり、
・多くの釣り人がチェックしている
・釣り業界関係者の善意が表示されやすい素地がある
・利益誘導的なバイアスが掛かりにくい
点から、「新聞の釣り情報欄」を現状から一歩踏み出した形で活用し、諸関係機関に協力を求めるのはどうでしょうか。
今回の会議のように、中央官庁と釣り人とが意見交換の場を設定したという件も、現実として日常的ニュースヴァリューに欠けるのは否定できません。
多くの釣り人が眼を通しやすいところに情報を掲示し、意識を向けてもらう必要があります。

「釣り雑誌」では、自分の見たい記事しか見ませんし、小難しいコラムなどは物好きしか読みません。記事は大衆に向け普遍性を以って発せられる言葉の凝集であるべきですが、現在の多くの釣りメディアにそのような技術と志を要求するのは酷であると考えます。

以上のような現状を踏まえ、今回のような会議で検討された事柄を簡潔にまとめ、地方紙を含む主要紙の「釣り情報欄」に報告事項の短信(または現場への協力要請)を、水産庁・全釣り協・日釣振のトリプルネーム、平易な表現、若干大きな活字で掲載するという案を提示します。

これを行うことによるメリットは、

・水産庁や釣り業界が現状について決して無為無策でいるわけではないというアナウンス
・地元の釣り業界関係者は必ず目を通すので、それらの人々の口を介して制度面での認 識が深まる
・公器に関係機関の意思表示が掲載されるということで、釣り文化のアンダーグラウンド  化を防止する

等々が挙げられるでしょう。

釣りの大衆化が浸透して久しいですが、これからの人口自然減を考えた場合、釣りが趣味の王様として君臨できた時期ももう過ぎたと思われます。
そうなれば、釣り人の数でモノを言うという方法論が今後意味を為さないことも考えられ、その対案として数ではなく質に因って建設的発言を行い、社会の一員として釣り人を認知してもらう不断の努力が必要になるでしょうが、
その流れにおいて今回のような会議が行われ、活発な議論が続けられていくことは、これからの釣りの未来にとって非常に有益であると確信致します。

2005年09月15日 tujii様

「釣り人はどこにいるのか、どこに行こうとしているのか」
 1970年代、子どもであったわたしが足を運べるような釣り場は、どこも釣り人で溢れていました。歩いて2,3分の川、自転車でいける範囲の川や溜池。それらは大阪の北部、北摂を流れる安威川やそこに流入する小河川であったり、その流域に点在する溜池でした。また、阪神間の海辺である、甲子園浜や須磨海岸へも、友達と連れ立って釣りに行きました。当時は、それらのどこにも、岸辺を埋める釣竿の群れを見ることができました。1970年代、公害が最も深刻な問題として叫ばれていた時代です。高度経済成長期ではありましたが、わたしの家には小学校高学年になるまで電話がありませんでした。今よりもすっとお金のかからない生活が、あの時代にはありました。わたしの父親は、週末になるとわたしを釣りに連れて行ってくれましました。釣りはお金のかからない、とても楽しい遊びでした。

 1980年代に入って、わたしは釣りを辞めました。わたしの周りの釣り人も減りました。しかし、そんなこととは関係なく、家の近くの大型スーパーに釣具のコーナーが出来たり、大きな道路に沿って量販店ができたり。そして、それと入れ替わるように、釣りに行く度、餌を買った釣具屋さんは消えて行きました。また、釣りに通った川や溜池では、ルアーを投げる釣り人の姿が見かけられるようにもなりました。 
 今、都市部の河川環境は随分改善されました。もちろん、これで満足とは言えないかも知れません。ため池や小さな水路の多くは埋め立てられました。しかし、今、子供の頃よりもずっと濃い魚影が、昔に釣りを楽しんだ川には戻ってきています。こららの河川環境の改善は、河川が注ぐ海にも及んでいることでしょう。でも、そこに、昔見た釣竿の群れを見ることはありません。町の路地にあった釣具屋さん、淀川べりに点在していた釣り餌屋さん、それらも姿を消したきりです。1970年代、あの時代にあった、あの大きな釣りブームは、その後にやってくる別の釣りブームとは、少し違っていたのかもしれません。
 現在、大都市圏の河川環境が改善されつつあるのとは逆に、地方都市の河川環境は悪化しているそうです。わたしは仕事でしばし暮らした岐阜で、その実例を目にしました。魚や釣り人の姿も減っているそうです。そして岐阜から大阪に戻ってみると、近所の量販店は無くなっていました。かといって路地にあった釣具屋さんが戻って来るわけでもありません。昔、釣りを楽しんだ川、河川環境の改善に多大な費用と年月を費やしたそこに釣り人の姿は無く、魚と鳥が遊んでいます。まだ残る少し遠めの量販店には、結構お客さんが来ているようです。大きな道路に面していて、その道路を使えば、遠くの釣り場に簡単に出かけて行くことができます。しかし、その釣具屋さんのすぐ側を流れる水路で釣りをする人は見かけません。そこには魚が遊んでいます。釣り人は、今、どこにいるのでしょうか。身近な水辺から釣り人の姿が消えたのは、環境破壊だけが原因なのでしょうか。

 釣りは、お金のかかる遊びになりました。遠くの釣り場に出かけ、高価な釣具を使う。そこにいる魚を求めて。これは止むを得ないことなのでしょう。誰もがそう思って選択した道ではなく。時代の流れだったのかもしれません。わたしは、地方都市の河川環境の悪化を目にした岐阜で、再び竿を取りました。そして今、わたしは大阪に戻ってきました。昔釣りを楽しんだ川を歩き、わたしは今迷っています。どこで釣り糸を垂れようかと。迷った挙句、再び竿を置くかもしれません。
  「遊漁制度」とはなんなのでしょうか。それによって守られる、あるいは管理される釣り人とは誰なのでしょうか。それは何のために、そして誰のために。今ある釣り場環境とは、決して他人の力だけによって用意されたものでは無いはずです。釣りをすること、その行為そのものが、わたし達の選択なのです。その選択こそが、釣り場環境を作る力の一つなのです。わたし達の選択によって、今の釣り場環境は作られてきたのです。しかし、釣りをするたびに、いつもこのことを意識し続けることなどできません。釣りは、やはり遊びなのです。認めようと認めまいと。
  釣りを通して釣り場を作る。意識しても、意識せずとも、それが可能になる。そのような制度こそ必要だと、わたしは思います。なぜなら、わたし達がこれまで歩んできた道そのものが、意識、無意識での選択の結果であるからです。そうっやて、今の釣り場環境があり、そしてそれは、これからも変えようがないからです。
 
 
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