<3>
水辺の賢者たち-2-
     金森 直治
江戸前のハゼ釣り船 昭和30年頃 東京湾三枚洲で   高崎武雄「懐かしい釣り」より

元祖・日曜釣り師

 石井研堂(いしいけんどう・18651943)は明治期を代表する釣りの論客で、日曜釣り師の元祖ともいわれる人物である。

 「釣聖」幸田露伴の親友で無二の釣り仲間としても有名で、名著のほまれの高い「釣師気質」(つりしかたぎ)を明治39年(1906)を著した。

 本職は著述業となっていて実にさまざまな書物を世に送り出したが、技術・産業などの解説書が多いから、今ふうにいえば科学評論家というところである。この点が重要なのだが…。

 当時の釣りをいろいろ書き残しているが、大流行していた江戸前のハゼ釣りについては、「百千の釣り舟を目当てに、すし・菓子・ラムネ・酒などを売る小舟も出て、金もうけのくふうは海の上にまで及んでいます」と語っている。

 「文明開化がさらに進むと、電気釣魚法といって、魚がエサをくわえると電鈴が鳴り、同時に竿がはね上がるような奇法が発明されるかも知れませんよ」

 これがなんと明治34年(1901)の文章なのだから見事なものである。見事といえばこの確かな眼は、変わりゆく隅田川の姿を次のようにとらえている。

 「汽船の往来がはげしいため、魚の繁殖がひどく害されています。遠からず、この永代橋のあたりではハゼの姿は見られなくなるでしょう。

 今日のこの遊びも、いずれは昔語りになるに違いありません」

                     コラムTopへ